*インタビュー先法人の都合により、掲載を取り下げさせていただく場合がございます。 |
![]() 医療法人社団 創造会 平和台病院 看護部長 「一生打ち込める仕事をしたい」と思っていたんです。だけど高校生の頃までは自分の将来について深くは考えていませんでした。看護師長をしていた身内に仕事について聞く機会があったので、看護師だったら一生打ち込めるかなと思って看護学校に入りました。 最初はそんな軽い気持ちだったのですが、すぐに看護の魅力にのめりこみました。 卒業後は国立病院に就職しましたが、そこでも看護の基本をしっかり先輩に教えてもらいました。また仕事のあとも頻繁に新人同士で集まって勉強会を行い、それも看護の楽しみを増幅させましたね。メンバーには研修医など他職種の新人もおり、皆が仲間という感覚で励んでいたんです。本当に毎日毎日が充実していて。辛いなんて全然思わなかったです。 私の学生時代・新卒時代は、看護師として非常に恵まれていたと思います。もっとも当時はその状態が普通だと思っていましたから、「恵まれていた」というのは後になって得た感想なんですけど(笑)。“後”に何があったか…。それはこのあとでお話しますね。 新卒で入った病院を結婚退職した後は、10年間子育てに専念しました。復帰後は、医師会病院やリハビリ専門病院、大学病院を経て今に至ります。
私が大切にしているのは看護の「看」。この一文字ですね。 患者さんに直接触れること、これが「手」。科学的な根拠と客観的な観察で観ること、これが「目」。 この看護観を得たのは…学生時代と新卒時代に、先輩や仲間と切磋琢磨して看護を学んでいた時期。医師も看護師もコメディカルもそれぞれの職種を敬い合い支え合いながら、チーム全体で患者さんのために全力を尽くす中で、看護観を自然に持つようになりました。 そしてこの想いがさらに深くなったのは、ブランク後に復帰した病院での「葛藤」がきっかけでした。復職した病院ではそれまでのチーム医療とは正反対の医師中心医療が行われており、看護師は医師の家来のような立場。私が以前通りのチーム医療を行おうとすると「威張るんじゃない!」なんて、医師からも看護師からも言われるほどだったんです。看護師として初めて感じたストレスでした。挙句、内部との軋轢に気力と時間を取られて、患者さんへ全力投球できないようになっていました。 “看護師は、自身の手と目と心を活かして、患者さんのためにこそ存在する”。それが自分の看護観なのに今の状態はそうではない。大きな葛藤でした。そしてそのジレンマに苦しむことが、結果としてより自分の考えを強くしたんです。看護に限らず、人間の信念って「それが叶わない状況」に置かれた時により実感するものなのかもしれないですね。 “地域医療”です。それはつまり、この地域に暮らす患者さんのニーズに包括的に応えること。 まず一つは、予防医療です。病気を早期に発見するための健康管理ですね。企業・個人・学校に対する健診やドッグなどがその例です。そして急性期医療。急性期の中でも、当院では治療の困難な疾病の場合もありますから、その時は速やかに別施設をご紹介することで対応します。 その次に、回復期医療。これはリハビリを中心とした療養型医療(リハビリに関しては、JICA海外派遣にて現地指導も行っております)や、在宅・訪問看護など。さらにはその先の介護。老健・グループホーム・デイサービスなどです。このように総合的な設備を敷地内に備え、発症前からアフターケアまでの包括的なヘルスケアを行っています。 大きなことを言うようですけれど…私は、日本の医療の基本は地域医療だと思っています。もっとも裾野が広いこの部分が良くなることが、日本の医療が良くなることに繋がると思います。
看護観を共有できる看護師です。手と目と心で患者さんを観ることができる人。その全部が重ならなくてもいいですし、今はまだ持っていなくてもいい。だけど何か少しでも共鳴し合える部分をお持ちの方とご一緒したいと思います。 「あなたにとっての“いい加減”で、看護に打ち込みましょう」 100%じゃなくて良いんです。自分の力を120%出すことが自分にとって落ち着くなら、それが良い加減。年齢や状況によって今はちょっと80%ぐらいで行こうかなと思うなら、それも良い加減。 その自分なりのパーセンテージの中で、仕事や家庭や趣味などをどういう割り振りにするかも自分のいい加減にしてくださって良い。自分の加減に合わないために、燃え尽きてやめてしまったり復職しようと思えなくなるほど惜しいことはないですから。長い目で見て看護師を続けられるようにしてほしいです。それが地域の患者さん、ひいては世の中全体のためになると私は心から思っています。 「誰かを愛するという気持ちは、その人の不在を実感した時にこそ最も強く感じる」 インタビューにもある通り、平井部長が自身の看護観をより強くしたのは、復職後、医師中心医療における軋轢との戦いの中でだった。
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